旅する小鉢

我が家のご飯の記録と、ご飯を通して考えたこと。

煮もの、鶏レバーの甘辛煮、ピカタ

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2021年6月9日

私は全然味見をせず、「しょうゆとみりんを1:1」などと決めたらそういうふうにばかり作る。南瓜は水分が多いものと少ないものがあるからそのときによって加減して…などということができない。食材に申し訳ないなあと思いながらいつもそうやって機械的に料理をしてしまう。でも最近、母の煮ものを作りたいなと思って、何度か作ってみた。

母に聞いたら、
「さいしょに大根、にんじん、ごぼうとかを炒めるやろ。それで水入れて、だしパックと砂糖。砂糖は少し。それでずーっと焚くねん。途中でしょうゆ、酒、塩ちょっと。でもそのときに『あ、ちょっと薄いな』くらいにしとかなあかんねん。それでまたちょっと焚いて、いよいよ最後になったらしょうゆをもう一回、それと照りが出るからみりん。そのときにちょうど水っけがなくならなあかんねん。」

「とにかく最初からしょうゆを入れたらしょうゆばっかりの味になるから、出汁パックと砂糖だけ。だからほとんど出汁だけやね。途中でしょうゆ入れる時も、ちょっと。それでこのときに水分なくなってしまったら失敗するねん。まだ水分が残ってて、『ちょっと味薄いな』っていうくらいになってなあかん。」

順番に工程が書いてあるレシピを読むと、まずこれをやって、次にこうで、となぞることができるが、「出来上がった時に水分がなくならないくらいに水を入れる」「薄い、と思うくらいに味をつけておく」というのは難しい。その表現の仕方に、何度も何度も作った母の経験が滲み出ているような気がした。

何度か作って、「あ〜これこれ、これやわ〜」と思うのに近づいてきた。調味料を機械的に入れるだけの私の料理にちょっと色がついた。母は煮ものにちくわを入れるのだけど、夫が「あんまりちくわ入れる煮もの食べたことないけどいいね」と言った。それを聞いて、ああ誰かの味の特徴ってこういうふうにさりげなく記憶に残っていくのだろうなと思った。

 

あと、離乳食の本でレバーが載っていたので、食べさせてみようと思ってトマトと煮たものを作ったので、そのあまりで大人用に甘辛煮を。3歳半の長女も少し食べてくれた。このごろ何でも「おいしい」というが一口でやめるので、ああ嘘ついてるなあ、と思う。私自身内臓が苦手なのでほとんど買ったことがないが、意外に美味しかった。

この日は、ここに書いたハンバーグ二種(鱈と長ねぎ、牛ひき肉とピーマン、しいたけ)を作り、上に書いた煮ものと、このレバーと、あと主菜が無いやんと思って急いでピカタを作って、それから晴れたのでふとんを二組干してシーツを洗って乾かしたら、それだけで一日が終わってしまった。

 

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