旅する小鉢

我が家のご飯の記録と、ご飯を通して考えたこと。

なぜ人の作ったものは美味しいのかな

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2021年7月5日

ああ今日も料理しないと、と思うのに、冷蔵庫に作ったものがいっぱいあると「早く食べなきゃ」と思ってテンションが下がる。よくわからないせめぎ合い。だけれど今日は料理する気持ちにならなかったので残り物があってなんだか嬉しかった。夫が、鮭と玉ねぎをオリーブオイル、塩、鮭、酢で下味をつけておいてくれたのでそれだけ焼いた。あとはもう数日食べ続けているひじきの煮物、八宝菜、次女(1歳0か月)の離乳食を作る途中で焦がしてしまった小松菜にだし醤油をぶっかけたもの。まだ冷蔵庫にきんぴらごぼうと紅茶豚もあるから明日も料理しなくていいかなと思うとふふふと思う。

いつも長女(3歳7か月)を保育園に迎えに行って帰ってきてから晩ごはんの仕上げをするけれど、長女は10秒に一回くらいずつ「ママーみて!」「こっちきて!」と言ってくるし、つたい歩きができるようになった次女は背後霊のように私にしがみついてずっとついて回ってくる。お願いだから、私をひとりにしてくれー!と思いながら料理する日のほうが多いが、今日は奇跡的に長女はままごとで、次女は布のおもちゃを触ったりして黙々と遊んでくれていた。そして、いつもは長女がお腹空いた空いたというので長女のぶんを先に出して先にひとりで食べさせ始めてしまうが、今日はちゃんとみんなの分を食卓に出してから、一緒にいただきますができた。残り物ばかりでも、なんかほっとした晩ごはんだった。

関係ないけれど長女が髪の毛をお団子にしてヘアバンドをつけてというのでそうしたら満足そうにしていた。

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夫が準備した鮭と玉ねぎのんはとても美味しかった。酢が入っていてさっぱりしていた。我が家において料理のほとんどは私がしているのに、たまに作る夫の料理のほうがずっと美味しい。悔しい。それで思い出したのだけど、週末長女が本で見て白玉だんごを作りたいというので夫と一緒に作らせたら、そのだんごの美味しいこと美味しいこと。白玉粉と木綿豆腐。「量はどのくらい?」―白玉粉100グラム分で。「水じゃなくて豆腐だけなの?」―そう。「浮き上がってきたら完成?」―浮き上がってきて2分。夫が事細かく聞いてくるので、だんごの作り方くらいネットで調べたら出てくるやん、やれやれと思いながら答えたのだけど、できあがっただんごは幾度も長女とだんご作りをしたことがある私のよりもずっともちもちふわふわで美味しかった。なぜなのか。作り方まで私が教えたのに。なぜ人の作ったものは美味しいのかな。


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